今日はドイツ語の試験に合格した。13時から勉強の予定だったが、
昼に結果をみて嬉しくて何も手につかないので、
スターバックスにメロンのフラペチーノを飲みにきた。
ずっと気になっていたけど、飲んでも喉が乾くだけなので倦厭していたが、
ごほうびに、と思ってちょうど朝飲んだコーヒーのOneMoreチケットもあったので、
アイスコーヒーと合わせて注文した。
いつもの感じの良い店員さんが、いつもと違う注文に驚いていた。
僕は、いつも僕が注文することを覚えられていることに、内心で喜んだ。
商品名が”ごほうび”メロンフラペチーノだったので、
ああ、来るべくしてきたんだな、と思った。
さて、日記について、ブログについて、少し考えてみたい。
なぜなら、毎日Notionを使ってプライベートな日記を書いてはいるが、
ブログは数ヶ月前に思いつきで作ったきり、そのままになっている。
その違いから、僕と日記の関係性=何のために日記を書くのか、
というところがよくわかりそうだと思ったからだ。
僕は何のために日記を書いているのか?
どんな時に日記を書くのか?
思いつく限りあげてみれば、それは次のようなものだ。
・学んだことや、自分自身の考えを書き留める
・自分のやりたいことと、それに向けた計画を立てる
・日々の進捗を管理する
・日々の生活の中で感じたことを書き留める
・自分にとって重要だと思う言葉やイメージといったようなものをメモする
そこから、僕は何を得ているのか?
・学んだことや考えを書き留めることで、自分の考えや価値観、アイデンテティを確かなものにし、強化する
・やりたいことを書き留め、モチベーションを忘れないようにする
・計画を立て、実現可能性を上げる
・日々の進捗を管理し、自分の歩みに対する達成感や満足感、自信を得る
だいたい次のようなものだ。
こうして考えてみれば、日記を書くということが、全く自分自身のために行われているのだということがわかる。
一方でブログを書くということは何のためにするのか?そこから何を得るのか?
・社会との接続感あるいは実際的な接続
・人が読むことを想定した文章を書く習慣
ブログというパブリックなメディアで行うことで得るもののうち、
プライベートな日記を書くことでは得られないものを考えると、
おおむねこの2つが思いつく。
それを欲する場合にブログを書くことになるのだろう。
どちらも、今それほど必要とはしていないが、あって損はないだろうとも思う。
つまり僕とブログとの関係は、まるで出会ったばかりの同僚とか、
友達の友達、とかそんな感じの距離感なんだろう。
逆に日記は、なくてはならないもの、1番の理解者というか、
ベストフレンドのような感じ、なのかもしれない。
だとしたら、ブログとはまあ、やんわりと、付き合っていけばよいかな、
と思いつつ。
今朝家を出た時も、ずいぶん気持ちがよかった。
---
昨日は良い気分で寝た。そして今日は朝は7時までダラダラしてしまったが、
家を出たらまるで秋になる瞬間みたいな涼しくて澄んだ感じがあって、
それでいい気分になった。今自分は幸せかもしれない、と思った。
そしてこの日記を書きながら、幸せみたいなものは多分そんなふうに、
感じたか感じてないかわからないくらい、でも多分そうなんだろう、
というくらいの確かさで感じているのが良いんだろう、とも思った。
確信的に感じるということは、それを手元に引き寄せて大事に守ろうとしているということで、もしかしたら執着みたいなものが、わずかでもあるかもしれない、とも。
だから、多分風に乗って運ばれてくる季節の変わり目の匂いを感じる時みたいに、
「あ、今、、微かに匂ったような、、」くらいがいいんだろうと、思った。
---
午後の時間も、今日はずいぶん気持ちがいい。
こうした気分は一時的なもので、世界が憎くてたまらないように感じる日も、
まああったりする。わかっていても、今日みたいな日が、毎日繰り返せたらいいのに、とも思う。
ああいった最悪の気分になってしまう原因は、大抵の場合、外的な要因によるストレスと、そのストレスに能動的に対処できていないことによる自己統御感の欠如(振り回されている感)、そして一番は、自分のやるべきこと、やりたいことを、精一杯できていない自己嫌悪だ。
だから、毎日を
・長期的な目標と計画に基づいて、
・ルーテインの中でそれを着実に実施し、
・日々自分自身の状況を日記などを通じて把握しながら、
・外的な要因から受ける影響と、自分自身の中から起こる些細な変化に適宜対応し、
・自分の価値観と幸せの成立条件に基づいた行動規範に従い、
・自分と世界とをより良いものにしていくこと。
これが、今日みたいな気分をできるだけ続けていくための、
おそらく条件になるだろう。
それはそれとして、
こうして書いてみながら思うことは、
プライベートな日記で書くときと、
パブリックなブログを書くときとでは、
思考の感覚もまた、
独り言と会話の時で違うのと同じように、
変わってくるということ。
そんなこんなで、時々、書いていこうかな。
あと、意外と喉は乾かなかった。